夜も更け、例えピオーヴァであろうと、大きな音で演奏するのがためらわれるような
時間になり、ようやく彼女は満足げに息をついた。
「初見は苦手だって言ってましたけど、だいぶ指が追いつくようになってきましたね」
「……すみません、完璧に弾けなくて」
「最初は誰でもそうですよ」
フォルテールの前に座ったまま、すっかり冷めてしまった机の上のハーブティーに手
を伸ばし、そのお世辞を受け入れた。
「ファルさん……あなたは……」
「ん?」
いったい、何者なんです? と聞こうとして、あまりにも失礼だと思いとどまる。し
かし、その言葉を引き継いだのは彼女の方だった。
「私は……孤児なんです」
そう言って、ぽつりぽつりと、ファルさんは語り始めた。
彼女が育った、孤児院のことを。今まで、どんな風に過ごしてきたかを。
「だから、昼間アーシノさんが言ったこと、わかるんです。利用するために、クリスさ
んと一緒にいるって」
「あ……ああ」
「私は、こうして卒業演奏のパートナーを探して、たくさんの人と練習を重ねてきまし
た。でも最終的には、たったのひとりとだけ、組むことになるんです。他の全ての人を
裏切って。結局私は、自分のために他人を利用しているんです」
それから、とってつけたように付け加える。
「もっとも……こんな私と組んでくれる人なんて、いないかもしれませんが」
「いえ……あなたが誰と練習しようと、どのように思っていようと……」
心から、そう思っている言葉。
「俺に言ってくれれば……いつでも、組みますよ」
女の子相手に言い慣れているはずの言葉が、かすれて見苦しく聞こえた。
「締め切りの前日に言われたら、困るでしょう?」
「なんとかしますよ、あなたのためなら」
そして、楽譜を手に持ちながら立っているファルさんに向き直って、その前で膝をつく。
「俺には、崇拝する女性が三人います」
「……アーシノさん?」
「あなたの名前が、もし俺の母親と同じだったら、その奇蹟を運命と呼んでも良かった
んですが」
「あなたのお母様のお名前は?」
「マリア・アルティエーレ」
口説き文句としては最低だったが、そうでもしないとやってられなかった。
本気になっている自分に気づき、冗談めいた言葉でごまかそうとしている。
「素敵ね。素敵な名前ね」
だが、ファルさんは本当におかしそうに、声を出して笑う。
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